保育園の思い - あすか保育園

 

保育園の思い blog

 
 

子どもの最善の利益を追求し、一人一人の子どもを大切に保育を行います。
また、現在を最も良く生き、望ましい未来を創り出す力の基礎を培います。
同時に全ての子育て家庭を視野に入れ、子育てに関する支援事業をおこない、
地域の子どもも含めた子どもの育ちを、総合的に支援します。

保育園の概要

意思決定

「子どもの主体性を尊重する。」最近、とかく出てくる言葉です。では、「主体性」ってどうやって伸ばしたり、育てたりするのでしょうか。

9月3日(日)に、「子ども情報研究センター」と「自治労大阪府本部」が主催の、「第10回 大阪発 保育・子育てを考える集い」にパネラーとして参加してきました。テーマは「子ども達の保育を守るためには」で、「子ども基本法」についての講演や、子どもに関わるいろいろな立場の人のデスカッションがありました。その集会でも出てきましたが、主体性を育てるというのは、それぞれが自分の気持ちを表現し、人の話に耳を傾け、人の考えを取り入れ、また自分の考え方を再構築する。そうやって確立していく過程をくり返しながら主体性が育っていくのかなと思います。

だとすると、保育園では、子どもが面白い、楽しいと思える活動を用意し、子ども自身が考えたり、チャレンジしたりできる機会を多く持ち、出来るだけ多くの意思決定をする場面をつくり、子どもの決定を尊重したいと思います。

私の意志の話を少し・・。

【保育所時代】私が年長さんの時、保育所の発表会で、「みにくいあひるのこ」をやることに決まりました。私は劇遊びが大好きでした。主役の「みにくいあひる」は、私がすると勝手に決めていたけれど、発表されたのはその他大勢のあひるの役でガックリ。何もかもやる気をなくして、ふてくされ、合奏もせずにいたら、先生(保育士)から、タンバリンで頭を叩かれました。私の意志は、みごとにつぶされました。  【中学校時代】理科の時間、酸素と水素から水を作るという実験を行いました。実験後に、どうも納得がいかずに、理科の先生のところに行きました。私が「先生は酸素と水素から水ができるとわかっていて、それを生徒にさせたけれど、それは実験でしょうか。もしかしたら違う物でも水はできたかもしれないし、わかっていることをさせられるのは、実験ではないと思うんですが。ちっともおもしろくありませんでした。」と。なんて生意気な生徒でしょう。でも、とても誠実な先生で、「その通りだと思う。」と言いに来てくれました。 これは意志を大切にしてもらった話。私の意志にまつわる大昔の思い出話でした。

楽しいこと、好きなことは大事にしてやりたい。子どもの意見は大切にしたい。そんな気持ちは、私の子どもの頃の経験が関係しているのかもしれません。

社会的安全性

あるクラスの懇談会で、「社会的安全性」の話をしました。「社会的安全性」とは、たとえば、組織で会議をした場合に、違う意見を言ったとしても、人間関係が悪くなったり、疎外されたりしない、心身が脅かされない関係性を指します。

「不適切な保育」が行われていた保育所の多くは、保育所内部でそれぞれの職員やクラスの保育について、正当なディスカッションがされず、「社会的安全性」が保たれていない保育所でした。これは年齢や立場に関係なく、子ども社会でも見られ、いじめや無視、仲間はずれなどは、「社会的安全性」が崩壊してしまった姿です。

保育園に通う未就学の子どもは小さくてもしっかり自分の意志があるし、意見を持っています。この意志や意見を大人が尊重し、それを表現する経験をたくさん作り、人間は一人一人違うからおもしろいということを肌で感じられるような取り組みを大切にしていきたいと思っています。そうすることが「社会的安全性」の高い組織の基礎をつくり、ひいては「平和」につながると思うのです。

あすかのひろば

 「あすかのひろば(5月27日)」の取り組みが、今年もとても充実していました。運動の好きな子、苦手な子、ハンディキャップのある子、いろいろな個性の中で、どうしたらみんなが楽しめるのか、子どもたちは、一生懸命考えていました。例えばリレー。歩く子と、走る子、速い子と、そうでない子、どういうリレーにしたらいいのか、いろんなアイデアを出し合いました。「考えて」「表明して」「聞いて」「合議して」「調整して」=とても民主的な取り組みを経験しています。当日、体育遊びも子どもたち自身が工夫して配置し、普段の姿をみていただけました。そしてリレー。ハンディのある子や、走るのが苦手な子どもは、距離を短くして参加することになり、自分の力を出し切ったリレーになりました。リレーが始まる前に、こんなドラマも・・・。前日までに、話し合いで決めていたリレーのアンカー。そこに、当日、アンカーがしたいという子が出てきます。保育士は、もともとアンカーに決まっていた子に変更をできるか聞いてみますが、答えは「ノー」。説得を重ねた結果、今日、アンカーをしたいといった子どもは、アンカーの前に、タスキをかけて走ることで、合意しました。(タスキがかけたかったようです。笑)説得を試みている間、他の子ども達は、じっと待ってくれました。自分も納得いかないことが起こった時に、決まったことをくつがえしたり、待ってもらうことがあるからだと思います。保護者の方も、ゆったりと待ってくださいました。(ありがたかったです。) いろいろな事件(?)が毎日起こって、子どもたちと一緒に考えてきた成果はここでも現われたように思いました。

試されるのはこれから

5月14日の毎日新聞に、1964年東京オリンピックの体操女子団体銅メダリストの池田敬子さんの訃報が載っていました。池田さんは、日本スポーツ界の語り部として知られ、高度経済成長期以降の日本のスポーツ界の牽引してこられました。池田さんが2020オリンピックについて問われると、『「国民が本当にもう一回やろうと、やる値打ちがあると思っていたのでしょうか。コロナに勝ったなんていうのもやめてほしい。これからでしょ。私たちがコロナに試されるのは」と答えました。(5月14日 毎日新聞)』

「私たちがコロナに試されるのはこれからだ」という言葉は全くその通りだと思います。コロナ感染症が猛威を振るい、一つ一つの行事に、保育内容に、ストップがかかり、今まで当たり前に取り組んできたことを見直さざるを得ない状況がたくさん起こりました。でもそれを考えることは、ある意味、真に子どもに必要なものは何なのかを、問い直す作業でもありました。

社会はwithコロナを経験し、様々な状況に翻弄されながらも、状況の変化を緩やかに受け入れてきました。そして、今年の連休は、各地の名所が、観光客で賑わい、コロナ感染症の取り扱いが、連休明けから、5類相当に変わりました。保育園でも、今年の運動会は、観客制限なしでおこないます。

四囲の状況が変化してきている今、私たちは、コロナ禍と同じような内容で取り組むべきこと、元に戻して取り組むべきことを、子どもを中心に置きながら、再確認していかなくてはならないと思います。まさにコロナに試される今後だと思います。

保育者の価値観

今年の園内職員研修(8月)で、あすか保育園に来ていただき、職員が受講する予定の、野籐弘幸(作業療法学博士)さんの言葉です。     

 『「生きる力の幅」といいましょうか、それが狭くて、今、過ごす場所で困っている、こどもがいるのなら、その子にあわせた手助けは、より広い幅をもつこどもにとっても役立ちましょう。    「愛する」とは、あいまいな言葉に感じます。しかし、これは、「私」の身体の感覚を通して、「あなた」の感情を推しはかり、私をあなたに置き換えて、私なら「こうしてほしい」、と思うことを、あなたに行う、共感の行為です。』   

私(園長)は、この言葉を聞いて、とても心が揺さぶられました。そして野藤さんの「発達障害のこどもを行き詰らせない保育実践」(郁洋舎)には、こんなことも書かれていました。

『こどもを育て、子どもに育てられて、でも、そのときそのとき、自分がこうしようと思った対応を試みる。こうした積み重ねの中で、保育者は保育者である以上に、ひとりの人間として自分を見つけていくのではないでしょうか。』

子どもと向き合う時、一生懸命生きようとする、育とうとする子どもを前に、自分の価値観が問われ、どうしたもんだろうと、壁にぶつこることがしばしばあります。そんな保育者の心情を野藤先生はわかっておられるのだなぁと思いました。

今年も、職員みんなで学びを深めながら、「子ども理解」に努めていきたいと思います。


旅立ち・出会い

2023年3月22日、卒園式。式での園長からの餞(はなむけ)の言葉です。     

伊藤アサさんの「足し算の時間、引き算の時間」という話を教えてもらいました。引き算の時間とは、いついつまでにこれをしなあかんとか、目標から逆算する大人の時間です。これに対して、子どもはもっと遊びたい、もっと友達といたいという、もっともっとと続くいわば子ども時間です。楽しいからもっと野球がうまくなりたいと思う少年は、やがて今度の大会までにこれだけ練習するんだというふうに、引き算の時間を自ら進んで受け入れていきます。保育園時代に大切なのは足し算の時間で、子どもが子どもの時間を、子どもの時代を十分に生ききれるように、保護者の方にはこれからもサポートしていただきたいと思います。大人がどうしてほしいかではなく、子どもが何をしたいのか、何を足そうとしているのかに、心を傾け、耳を傾け、子どもと共に大切な時間を過ごしてください。あすか保育園の職員もずっと応援しています。卒園おめでとう!

2023年4月6日、入園式。入園式でも、同じ内容の言葉を保護者に送りました。保護者はとてもしっかり聞いてくださいました。

旅立ちと出会い。3月4月は、心が揺れ動く季節でもあります。一日一日、大切に子どもと過ごしたいと思います。

メタ認知

新年の挨拶もせぬまま、もう3月に入ろうとしています。すみません。

実は、1月に「謹賀新年」というタイトルで途中まで書いて、そのまま投稿したつもりになっていました。最近、こんなことがしばしば起こります。物忘れが多くなり、考えると気持ちがふさぐので、あまり考えないことにしています。でも、ごめんなさい。

 保護者アンケートを今年度も実施しました。そして、アンケートの結果を先日公開しました。ほとんどは、評価してくださっているご意見でしたが、当然、何件かのご意見は、園の力不足を感じたり、伝える力の弱さを感じたりしました。いろいろなご意見をいただいて、客観的に今の園の状態を分析することが大切だと思いました。

「メタ認知」という言葉をご存じでしょうか。「メタバース」とかに使われる「メタ」と同じ意味です。「メタ」は、高次・高い次元を意味し、自分が認知していることを客観的に認知することです。つまり、自分が出来ていることや、出来ていないことを自分でわかっておくという事です。「メタ認知」が高い人は、複雑な課題に取り組み、問題解決能力も高いといわれています。

アンケートを通して、園の強みや弱みを教えて頂きました。物忘れはさておき、園の状態をしっかりと認知し、「メタ認知」を高め、問題解決にあたっていきたいと思いました。

たてわり保育

12月3日(土)に「きらきらひろば(生活発表会)」がありました。少し紹介すると・・・。

●劇も歌や演奏も一つ一つ子どもたちと先生方とで、手作りで作り上げたあたたかさ感じられるすばらしいものでした。自分の発表だけでなく、周りのお友達のフォローもするなど、子ども達がとてもたくましく頼もしかったです。

●劇の時、上のお姉ちゃんが前に出る時だけじゃなく、座っている時も、ずっと手をつないでくれているのを見て、すごく本人も安心して、参加することができただろうし、親としても安心と感動がありました。

●子どもが子どもを“待てる”姿が本当にステキでありがたかったです。“たてわり保育は”、とてもありがたいなと思います。あすかの子たちは、みんな、“せめる”のではなく、“受け入れ”上手だと思います!

●子どもの可能性を信じることの大切さを再認識しました。

●劇などで次の動作がわからなくて止まっていると、上の年齢の子やお友達が手を引いて、サポートしてくれている姿を何度も見かけました。下の年齢の子や、お友達を思いやる気持ちがしっかりと育まれているのだなと感じました。

●子どもたちが助け合ったり、認め合ったりしているのを見て、改めて「たてわり保育」っていいなぁと思いました。

●素晴らしかったです!感動しました。本番ではドキドキしながら立派にやり遂げることができ、本人は大きな自信につながったと思います。準備段階でも、子どもの気持ちや状況を考えて、先生方が多くのサポートをしてくださいました。子どもに主体性をもたせながら、支えて下さり、毎日が本当に楽しそうでした。

園からのコメント(抜粋)

今回の感想で、本当に多くの保護者の方々が、「たてわり保育」について、とても賛同してくださっていると、実感しました。子どもが知恵や意見を出し合い、工夫して、1つのものを作り上げていく工程は、子どもの成長にとって、かけがいのない貴重な経験です。ちょっとまごまごしていたり、スマートでなかったり、寄り道だらけかもしれませんが、そんな大人から見れば「無駄」な時間や作業が、子どもにとって何より必要です。「無駄の勧め」です。毎日がとてもあわただしく、お忙しいとは思いますが、どうか子どもの「無駄」を楽しめる心のゆとりを、今以上に保護者の方にも持っていただけたら、子どももますます健やかに伸びていくと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

このように感想の感想!?を書きました。そして、園だよりには、

この保育園の保護者の方は、真面目で、子ども思いで、とても感性豊かな方が本当に多いと、つくづく思います。今回も、きらきらひろばの感想を読ませていただき、またまた感銘を受けました。「たてわり保育」の意義をしっかりと理解し、納得して、保育内容を支えてくださる。私を始め、保育士たちはそんな感想を読むと胸が熱くなって、「ほんとうにありがたいなぁ」と思うのです。保育士と保護者が円満な関係であること、またお互いを信頼し、リスペクトしていること、これらは、こと、人を育てる者同士(保護者と保育士)の関係の中では、とても大切です。良い関係が、良い雰囲気、良い環境を生み、子どもたちの保育園での暮らしは、更に過ごしやすいものとなります。保護者と保育園が馴れ合いになるのではなく、きちんと思いを伝えあいながら、子どものことを考えていく気風が、あすか保育園にはあると思います。今、いろいろと保育園のことがニュースになっています。何か心配なことがあれば、いつでも聞いてください。子どもについてお話ししましょう。

と、伝えました。子育てが難しい時代だからこそ、力を合わせて取り組んで、楽しみたいなあと思います。

「共に生きる」力

11月10日、17:45~ 地震が来たことを想定し、避難訓練をしました。その時間、正規保育士2人、保育補助3人、子どもが20人ほど園にいました。日中より、圧倒的に少ない保育士でどのように子どもを守るのか。実際に訓練を行ってみて、たくさんの課題が出てきたので、翌日、すぐに会議で検討しました。これからもいろいろな時間帯やシチュエーションを設定し、訓練を行っていきたいと思います。近隣の方や保護者の方も、そのような場面に遭遇されましたら、ご協力をお願いします。その時に、こんなエピソードがありました。訓練が始まって、保育士は、子どもたちをどう守るのか、とっさの判断を迫られていました。幼児さんはいつものように、自分で防災頭巾を被りました。そして次には乳児さんにも、頭巾を被せてあげる行動に。普段のたてわり保育の成果が、とっさの場面でも現れるのだなと、感心しました。普段でも5歳児は、3歳児の話を聞くときに必ず中腰になり、視線を合わせて、話を聞きます。一緒に暮らす中で、教えられたわけではなく、生活から身についてきた力です。大切な「共に生きる」力だと思いました。

子どものものさし

松田道雄(1908~1998)は明治・大正時代の小児科医・評論家で、子どもと母親の立場に立った医療・育児を追求し続けた人として、知られています。松田の本、「子どものものさし」を読みました。一文を紹介します。    『人間はめいめいが心のなかにものさしをもっていて、どの人間にも自分のものさしを使う権利がある。大人は、大人の心のものさしを子どもにおしつけることで、人間が作れると思っている。たしかに大人のものさしだけで人間はつくれる。しかしりっぱな人間はつくれない。りっぱな人間は、自分のすることに責任をもっている。自分のすることに責任をもつためには、自分のものさしではかって、自分で設計せねばならぬ。大人は、子どもに自分のものさしを使う機会を与えねばならない。子どもの心にしかないものを、もっと大事にしなければならぬ。』   自分のものさしを使う機会を大人がどれだけ用意するか、子どもがものさしを使う時、どれだけ寛大に見守ることができるのか、それによって、子どもの人生が変わるといっても過言ではないと思いました。松田の著書は、時代は変わっても、子どもに対する大切な心持ちは変わらないことを、教えてくれていました。

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