子どもの最善の利益を追求し、一人一人の子どもを大切に保育を行います。
また、現在を最も良く生き、望ましい未来を創り出す力の基礎を培います。
同時に全ての子育て家庭を視野に入れ、子育てに関する支援事業をおこない、
地域の子どもも含めた子どもの育ちを、総合的に支援します。

保育園の概要

たてわり保育

 秋の幼児懇談会・乳児懇談会が終わりました。今回は共通のテーマがありました。それは、「たてわり保育」についてです。

 今年度に入って、職場内でいろいろと研修を重ねてきました。参考になる本を探して学習したり、ビデオを見たり、ポストイットを使って疑問を出し合ったり、グループトークで意見を言い合ったり・・・。話し合いを重ねていくうちに、たてわり保育が、今の子ども達の育ちにとても必要なことだということが段々わかってきました。私たちが目指している保育の実現にもとても有効だということもわかってきました。今の職員で、「たてわり保育」経験者は少なかったのですが、何となくやれそうな気がしてきて、楽しそうな気配や期待が膨らんできました。9月、一人一人の意思を会議で最終確認し、来年度の4月から、3~5歳児は、「たてわり保育」でスタートするため、準備を進めようということになりました。

 そして迎えた保護者懇談会。乳児組・幼児組ともに反対意見はありませんでした。というより、保護者の方々もやってみないとわからない、といったところだそうです。それにしても、保育園が出した提案を保護者の方々はいつも前向きに捉えてくださるので、とても感謝しています。その信頼にあぐらをかかず、子ども達がよりいきいきと暮らせる場所として、あすか保育園があり続けられるよう、職員みんなで努力を続けていきたいと思いました。

センス・オブ・ワンダー

「身近な自然が保育を変える」という研修を受けてきました。(講師:小泉昭男さん)皆さんは、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」はご存知でしょうか。それは、「自然などからある種の不思議さを感じ取る感性」「神秘さや不思議さに目をみはる感性」のことで、トトロに出てくるメイちゃんが目を見開いて、どんぐりまなこで感激するような心持ちのことです。その感性は、全ての人が持っていますが、最近では、意識しないと、なかなかそのような場面に出会えることが少なくなっています。でも、少し意識することで、送り迎えの道中や、散歩の道すがら、自然をまだまだ発見することができます。「知ることは感じることの半分も重要ではない。」私たちも、身近な発見を大事にして、子どもと一緒に感じる時間を大切にしていきたいなあと思います。

子どもの力

今日は、我が家の話を一つ・・。

うちには、6歳離れた娘がいます。下の子が生まれた時、上の子は保育園の年長さんで、兄弟をとっても欲しがっていました。私がまだ身籠ってない頃から、七夕の短冊に、「かわいい妹が生まれますように」と願い事を書き、保育園の先生に、「お母さん、おめでたですか?」と聞かれたりしました。短冊効果か、しばらくして妊娠がわかり、大喜び。生まれた時も、お猿のような赤ちゃんをうっとり眺めて、「おかあさん、ほんとにかわいい、っていうのは、こういうことをいうんやろうな」ってつぶやいていました。

待ちに待った妹誕生ですが、実際は、今まで自分中心に回っていた生活が、赤ちゃん中心に様変わり。優しい声で妹に語り掛ける母。「は~い、おむつかえましょうね。きれいきれいしましょうね~」「あ~ら、いいウンチですね。すっきりしたね~」「今日の離乳食は、大好きなお芋ですよ~」といった調子。6つ離れているのをいいことに、私は我慢していたお姉ちゃんに、今から思えば、とても甘えていたんだと思います。

そんなお姉ちゃんも27歳になり、家を出ることになりました。荷物を片付けている時に見つけた、私に渡さなかった(渡せなかった?)手紙を「こんなん出てきた。」と持ってきました。その手紙にはこう書いてありました。

お母さんへ

お母さんは、今一番楽しいことは、何ですか?○○(妹の名まえ)のオムツかえですか?それともうんこを出すことですか?2つともちがいますか?こんど、おへんじをかいて、おへんじにこたえをかいてください。ぜったいにおへんじかいてね。またこんど二人だけでかんらんしゃのったりごはんたべたりしようね。

もう20年ぐらい前の手紙ですが、とてもショックでした。自分の鈍感さにあきれ、子どもがとてもいじらしく思えました。子どもに助けられて育児をしてきたこと、子どもの力の偉大さをまた、思い知らされました。

園でも、子どもの力は素晴らしい。だから、子どもの力を信じて、待って、引き出して、保育していこうと話しています。大人は子どもを尊敬しなくてはならないなぁと思います。

 

 

 

幸せな未来を創る子・Ⅱ

園内研修で、「保育指針」の話や、「異年齢保育」の話を深めています。

1965年の「保育所保育指針」には、「異年齢保育」という語句は出てきません。子どもの遊び空間に十分異年齢の関係が存在した時代です。私もその頃に生まれた人間で、遊びのほとんどは、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんから教えてもらいました。そこから、少子化、核家族化、未就学児の通園率、女性の社会進出等、子どもを取り巻く状況や、保育をめぐる状況が変貌し、地域の中に「異年齢」で遊ぶ子どもの姿は消えてしまいました。

(以下、「異年齢保育の実践と計画」(ひとなる書房)を多数引用させていただきました。)

遊びとは、上述したように、本来、子どもの間で伝承されてきた文化です。年上の子どもが年下の子どもに対して、伝えていった豊富な遊び文化です。自分たちで遊びを考え、自分たちが楽しめるように時にはルールを変更し、役割分担も考え(ゴマメという役割もありました。)、発展させてきました。ゴマメであっても、お兄ちゃん達の仲間に入れてもらえるだけですごくうれしかった。年齢や性別やいろいろなカテゴリーから解放され、素の自分、自分の内面だけで勝負できた。そんな中から、「無条件に認めあう関係」が生まれていました。そういう経験をする場が地域の中から消えた今、保育園でその環境を作るのは、社会的使命だとも思うのです。「自分で考えて自分で判断する。」の基本形に、最も近い形だとも思います。園でも、もう少し議論を深め、近い将来、「異年齢保育」に移行していければいいなぁと思っています。

 

 

 

幸せな未来を創る子

「教育とは、学校で習った全てのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう。」(アルベルト・アインシュタイン)・・・これは、私立保育園連盟の機関紙に引用されていた文章です。その通りだなと、私自身、深く感銘を受け、掲載させていただきました。子ども達、一人一人に、自分の力で幸せな未来を、切り開いてほしい。そのために、「自ら考え行動できる人間」に育てることが、私たちの使命だと思います。だから、今の乳幼児期にこそ、知識に偏らないで、自分で成功したり、失敗したりしながら経験を重ね、友だちとぶつかり合って学んでいって欲しいと思います。

暑中お見舞い申し上げます。

「暑中見舞いは、天神さん(今年は7月25日)まで。」  立秋(今年は8月8日)までに出せばいい暑中見舞いはがきですが、遅れないようにと、父によく言われた言葉です。今年は、梅雨入り、梅雨明けが遅く、暑中見舞いの時候の挨拶も、どう書こうか悩んだものです。梅雨が明けると、いきなりの暑さ。暑さに体を慣らす準備期間が足らず、余計に暑さが堪えます。ゆっくり休憩を取りながら、夏を乗り切りたいものです。保育園も、夏の行事を無事終えて、やっと夏休みモードに入れそうです。

7月12日~13日に「一泊保育」(フォトギャラリーに当日の様子の写真を掲載しています。)が、そして26日に「夏のあそび会」が終わりました。それらが済むまでは、園としても夏休み気分になれず、やっと無事終了して、一息つけそうな感じです。「一泊保育」は5歳児全員参加の下、柴島高校のボランティア学生の協力もあって、とても楽しい一時を過ごすことができました。今年、初めて募ったボランティアでしたが、予想以上の成果に、地域の繋がりのありがたさを改めて感じた次第です。また、26日の「夏のあそび会」は、昨年度の卒園児を招待し、卒園児たちはしっかり成長した姿を見せてくれて、とてもうれしく思いました。卒園児の保護者の方々にも久しぶりにお会いでき、保護者の方同士もちょっとした同窓会感覚でした。どうか皆さんも、お身体ご自愛のほど、楽しい夏をお過ごしください。

 

一泊保育5

夜のお楽しみ。にゃんこの海賊団から力を試され、認定証をもらいました。最後はお待ちかねの花火大会。八時にすべてのプログラムを終了し、長い1日が終わりました。柴島高校のお兄ちゃんやお姉ちゃんにお礼を言ってシャワーをし、就寝。9時過ぎには眠りにつきました。みんな、よく頑張ったね。

19:00~21:00

pagetop